日本酒のうんちく  白鶴酒造㈱大阪支社  町田 利博

<コラム>  日本酒のうんちく  白鶴酒造㈱大阪支社  町田 利博
 日本酒はその呼び名からわかるように、日本民族に固有な、長い歴史と伝統を持つ優れたお酒です。
また、日本酒は「清酒」とも呼びます。その語源は日本酒の生い立ちに由来し、酒税法上の分類に「清酒」と定義しています。「清い」という言葉は日本文化のポイントであり、「清い酒」という名称が千年以上も昔から今日まで使用されている事実は、日本酒は文化として受け継がれ発展してきたことを示しています。
日本酒は単なるアルコール飲料ではなく、フランスワイン、スコッチウイスキー、ドイツビールに匹敵する日本の文化的財産といえます。<コラム>をお読みいただいた皆さまの日本酒に対する関心が高まり、飲用機会が増えれば幸いです。

1.日本酒のトレンドについて
・高齢者を中心とするヘビーユーザーの飲酒量低下、若年層を中心とする低関与層の拡大により、マイナス成長続く。
・しかし、付加価値が高い比較的高額な商品の売上は増加。海外輸出が好調であるほか、インバウンド消費が日本人の低関与層を刺激し、国内消費にも明るい話題。
・2018年国内市場規模・・・約331,000百万円。 酒類全体の約1割占め、ビール類を除き、市場規模は乙類焼酎に次いで2番、輸入ワインの約2倍、梅酒の約10倍以上占める。
・製法別では、「普通酒」「本醸造」は減少傾向である一方で、「純米大吟醸」「大吟醸」「純米吟醸」 「吟醸」「純米」は増加。

2.日本酒の歴史  ~口噛み酒から清酒と呼ばれるまで~   ※奈良時代以前の説は推測です
【口噛み酒】穀類など澱粉質食糧での酒造り
・縄文後期・・・穀類を噛み唾液と混ぜることで澱粉質が糖化。野生の酵母が混入し醗酵。
東アジア一帯・東南アジア・南太平洋・中南米などで用いられていた製法とされる。縄文前期~中期にかけて国内の遺跡から山葡萄などで果実酒を造っていたと推測できるものが出土されており、後期には食糧である穀類の片栗・ユリの根・アワ・ヒエで酒を造っていたと考えられている。更に国内でも米の水田耕作が行われていたことも確認されており、「米」を原料にした酒があった可能性あり。
-国内での文献の初見は奈良時代初期。「大隈国風土記」「古事記」。
-明治時代まで沖縄で祭事用の酒に用いられる(うるち米使用)。酒名を「噛ミシ」といい、 「醸し」の語源との説も。
【米と米麹の酒】日本酒の原形(独自技術)
・弥生時代・・・三世紀「魏志倭人伝」 、邪馬台国で葬送の習俗として広く普及。「米麹」の使用は推測であるが、「米」の調理方法として炊飯ではなく蒸米(強飯)を行っていたので、「米麹」を使った酒があったとの説。
-「米麹」の使用については、奈良時代「播磨国風土記」に文献上の初見。
-カビが生えた米・・・「加無太知」「加牟多知」(噛む+カビ立ち)といい、「麹」の語源説に。
【清酒の登場】
・飛鳥後期・・・遺跡(木簡)に「須弥酒(すみさけ)」。「須弥」は濁った酒の上澄みを絹で濾すこと。奈良時代に「澄み」へ。
・奈良時代・・・平城京跡出土の木簡と文献「奉写経初解」に「清酒」の文字。
・平安時代・・・現在の宮内省にあたる役所の一部「造酒司(さけのつかさ)」で清酒製造を行う。
-律令「延喜式」に15種類の仕込法・配合表・酒造時期・酒造用具・原料米の使用高の記述。そのなかの「六そう(艘の舟なしの字)」の記述は大量の酒を漉し清酒を造っていた証し。
-計76人の官人(役職)と(大和・河内・摂津の酒造集団185戸)が従事。
◎江戸時代に鴻池の酒蔵で丁稚が腹いせに炭素を投入して「清酒」が誕生したという話は、庶民の読み物「喜遊笑覧」に登場する作り話。 日本酒は「清い酒」として昇華し、「文化」として継承され「産業」として発展を遂げましたが、それを支えたのは先人たちの弛まない努力による技術革新でした。次月のコラムでは、清酒製造の技術について掘り下げながら、今日の発展に大きく貢献した「灘の酒」「宮水」もご紹介しますが、最後に、今も賛否の論争がある「醸造アルコールの添加」は江戸時代に確立された技術であることに触れて締めくくります。

3.日本酒の歴史  ~技術の変遷  江戸時代~
・発酵末期の「もろみ」に醸造アルコールを添加し、「本醸造」や「普通酒」を造る技術。俗に「アル添」といわれる。
・江戸時代前期、「寒造り」を伊丹流が確立したことで、池田、伊丹が一大産地に発展。伊丹で酒質改善を目的として、試行錯誤の末、「もろみ」に「焼酎」を添加。辛口酒として絶賛され、灘地方にその技術が受け継がれ、世界最大の消費地とされる江戸において隆盛を極める。
・品質が長持ちししっかりとした味わいは「風味しゃんとして足強く」と評され、アル添を「柱を立てる」と呼ぶ。

以上