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日本の死亡者数11万超 協同組合Masters 濱出健一

<コラム> 日本の死亡者数11万超 協同組合Masters 濱出健一
この日本で、実は毎日平均で300人もの方が命を落としている。年間ではなんと、11万人を超える。そんな病気が日本列島を覆っている。そう聞いたら、どう感じるでしょうか。
新型コロナのことではありません。一般的な肺炎のことです。
厚生労働省の資料によりますと、65歳以上になると、肺炎での死亡率がとても高くなります。
【厚生労働省HP:死亡者数】 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html#
その他の年代では、この表の中に肺炎は出てきません。唯一、1~4歳の死因の第5位になっています。これは、ひとつの客観的事実(ファクト)です。65歳以上になると、肺胞の炎症を起こす肺炎という病気で、命を落とす方がこんなにも多いのですね。統計にしてしまうと単に数字になってしまいますが、もちろんそこには、それぞれの人々が歩まれた人生の物語があります。昨今、日々のニュースに触れる時も、大切にしたい視点だと思っています。
さて、古今東西、感染病は人類にとって大きな課題ではあります。が、療養して軽度で早々に回復するならば、さほどのことでもないでしょう。風邪もインフルエンザも特効薬はありませんが、多くは快気できます。問題は、 重篤化して、死に至るケースです。
上記の通り、肺炎の死亡者数は、日本で平均して毎日300人です。一ヶ月で9000人。二ヶ月で18000人。三ヶ月で、 27000人…。ちなみに新型コロナに関しては、4月1日現在の厚生労働省の公表で、これまでの死亡者57名ですね。
医療関係者の方々の、想像を絶する現場でのご尽力の賜物と思います。
いち日本国民として、感染拡大の防止など、自覚を持って取り組むべきことは当然ながら、個人としては、免疫力の向上が、とっても大切だと思います。
良質な睡眠、適度な運動、健康的な食生活を基本に、健康管理をしていきましょう。精神的には、日々起こるストレスをその日に解消していくことでしょう。
その簡単な方法としては、日々起こっている意識的であれ無意識であれ何千回もの選択を瞬時に選択し悩まないということだと思います。
日本列島集中豪雨河川の決壊、180か所もの土砂くずれ、このまれなる災害は、何を日本国民に示唆しているのでしょうか?

コロナ騒ぎで、ふと考える 協同組合Masters 濱出健一

<コラム>  コロナ騒ぎで、ふと考える  協同組合Masters 濱出健一
法文化論や刑法学などがご専門の一橋大学教授の王雲海氏の著書『「権力社会」中国と「文化社会」日本』(集英社新書、2006年)はとても興味深い観点を提示しています。
王氏は、日本と中国の社会を比較して、日本を「文化社会」、中国を「権力社会」と称しています。
王氏によれば、中国の社会を作り上げているのは根本的には政治権力です。
「中国社会の原点は国家権力にほかならず、国家権力こそが中国社会における至上的なもの(原理・力・領域)である」。
他方、日本の場合は、社会を作り上げているのは「文化」だと王氏は述べます。ここで「文化」とは、いわゆる常識、慣習、慣行、人々の伝統的道徳意識といったものを指します。
王氏は次のように書いています。 「社会の原点が何かという点から見ると、日本社会の原点は文化であって、文化こそが日本社会における第一次的なもの(原理・力・領域)である。いいかえれば、日本社会においては、社会現象をもっとも多く決定し、個々の国民の行動や生活にもっとも大きな影響及ぼすのは、権力でもなければ法律でもなく、むしろ、それら以外の「非権力的で非法律的」な常識、慣習、慣行などの、公式化されていない、民間に存在している文化的なものである」
王氏の分類を解釈すれば次のように言えるでしょう。
広大な大陸国家である中国は、伝統的に民族の移動が激しく、様々な王朝が頻繁に入れ替わってきた。「文化」も入れ替わり、継続性に乏しく、共有もされにくい。中国では、文化を育むはずの村落などの地域共同体(中間共同体)もあまり発達しなかった。国民相互の連帯意識や愛国心の育成も困難だった。そのため、秩序を作るためには強大な政治権力に頼るしかない。中国では伝統的に強権的な中央集権国家しかほぼ作られてこなかったのはそのためである。
他方、島国である我が国は、人の移動があまりなく基本的に定住型の社会を作ってきた。地域社会の形成も進んだ。そのため、常識や慣習、慣行などの「文化」が継承されやすい。国民相互の連帯意識や愛国心も比較的育みやすい。強大な政治権力頼らずとも、人々の常識や慣行、規範意識、連帯意識によって秩序形成は比較的容易である。実のところ、日本で自由民主主義のような穏健な政治が可能なのは、日本が「文化社会」だからであろう。
だが国家による管理の手法は、非常に進化したように見えます。最近、英語圏の論説で「デジタル権威主義」という言葉をよく目にします。「デジタル権威主義」とは、国家がIT(情報技術)やAI(人工知能)などの科学技術を駆使して国民生活を隅々まで監視し、管理する体制を築き上げていくことを指します。 最近、中国は電子マネーを急速に普及させ、キャッシュレス社会の実現を進めているが、これは金の流れを記録し、国家管理を強めるためでもあります。国民の信用度を数値化した「信用スコア」の政府による利用も進んでいると聞きます。新しい形の権威主義国家体制の構築が進んでいるとみることができるでしょう。 では、我が日本はどうでしょうか。日本は、自由民主主義を今後も続けることができるのでしょうか。現在のままだと、私は少々悲観的です。
天安門事件があったのはちょうど平成元年ですが、そのころから日本は、徐々に構造改革を進め、「グローバル化」(多国籍企業中心主義化)を目指してきました。
その結果、国民生活は疲弊し、多くの地方は廃れ、少子化や東京一極集中も進んでいます。
近年、人手不足を補い、多文化共生を進めるなどの名目で外国人単純労働者の受け入れも始まりました。
グローバル化を目指すこうした構造改革が今後も進めば、日本社会も徐々に「文化社会」から「権力社会」へと移行せざるを得ないのではないでしょうか。
日本でも「文化」の共有の条件は崩れ、秩序を作り出すのが非常に難しくなります。
「文化」の共有のないバラバラの個人の間に秩序を作り出すためには、中国のように管理国家化を進めざるを得なくなります。 日本でも最近、中国に倣ってか、「信用スコア」という言葉をときおり目にします。日本も、テクノロジーを使った外見上ソフトな管理国家化に進んでいくのではないでしょうか。「グローバル化」を進めるとすれば、そうでもしないと安定した秩序は作れませんからね。
いやですよね、こういう流れは。私は、日本は「文化社会」であり続けてほしいと思います。
日本や中国の社会的特質の相違、今後の日本社会のあり方について改めて考えてみるきっかけにするべきではないかと思います。

夢を語れるリーダーがいない! 一般社団法人全国自治会活動支援ネット 理事長 幸田英長

<コラム> 夢を語れるリーダーがいない! 一般社団法人全国自治会活動支援ネット 理事長 幸田英長
夢を語れるリーダーがいない!
高齢化とともに、地域のリーダーがいなくなる!
夢を持った次世代のリーダーも育てられない!
リーダーを子供から育てるには、常識のイノベーションを!
スーパー教育 『Super Kids Project』 とは!  ●これまでの教育との違い: 教える教師を必要としない、幼児の本格的な国語・算数の学びを組み込んだ、幼小中高一貫教育 ●アピールポイント: 少子高齢化やAIの発達で、これまでの経験が通用しない社会にわが国は向かっています。そのため大阪をはじめとする幾つかの地域では、トップ高校が、横並びの教育である義務教育とは一線を画し、時代が希求する次世代のリーダーを育む教育へと舵を切りました。しかし、リーダーを育む教育は、人格と人間性がほぼ完成した高校生からではできません。三つ子の魂百までではありませんが、スポーツや芸術がそうであるように、いやそれ以上に、人格形成やあらゆる学びの基と成る母語の確立が進む幼児期(3歳から5歳)には始めなければなりません。 ただし、この時期のこどもたちには道理や理屈が通用しないため、学校や塾がやっているような「教える(押し付ける)」形の教育はできません。また、リーダーとしての重要な資質である「自律心」「自立心」を養うためにも、受け身ではなく、自分で学ぶ学習でなければなりません。SKP( Super Kids Project )は、小学校内容から大学受験まで、一貫した流れで構成されたスーパー教材による、完全自立学習“自読考®(自分で読み考える)”で、幼児期の本能である「自分でやりたい」を活かし、主体的に学ぶ学習の場となる きっず教育“すきっぷ”を提唱します。きっず教育“すきっぷ”では、これまでの学校や塾と違い、教えることは一切ありません。先生の仕事は、立ち位置を変えて、こどもの能力を引き出す「話を聞いてあげる」ことです。
【日本財団「18歳意識調査」第20回 テーマ:「国や社会に対する意識」(9カ国調査)
国や社会に対する意識 各国1,000人に聞く�日本の若者の数字の低さ際立つ】
10年後、どうなるのでしょうか?
国、全体に危機感がないようです!
皆さんも、一緒に知恵を出してください。
ご意見は、ryu.takahara@masters.coop  にお寄せください。 よろしくお願いいたします。

日本人が知らない 太平洋戦争の大嘘 国際政治学者・藤井厳喜の講演録より Masters 濱出健一

<コラム> 日本人が知らない 太平洋戦争の大嘘  国際政治学者・藤井厳喜の講演録より Masters 濱出健一
1946年(昭和21年)5月3日、東京。
元アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーと連合国軍最高司令官マッカーサーは「太平洋戦争とはいったい何だったのか」を3日間にも渡って話し合った。
そのとき、日本人なら誰も思いもしないようなことをフーヴァーは口にした…
「太平洋戦争は、日本が始めた戦争じゃない。あのアメリカの『狂人・ルーズベルト』が、日米戦争を起こさせた。気が狂っていると言っても精神異常なんかじゃない、ほんとうに戦争をやりたくてしょうがなかった…その欲望の結果が日米戦争になったんだ」
その言葉を聞いて、マッカーサーははっきりと同意した…
私たち日本人は、小さい頃から「日本が真珠湾を宣戦布告もなしに攻めて戦争を起こした」「日本は残虐な悪い国だ」ということを新聞でも、テレビでも繰り返し教わってきました。でも、今から数年前、我々が耳にしてきた太平洋戦争の常識とは真逆とも言える証言が、47年公開を禁じられたフーヴァー元大統領の回顧録から次々と浮かび上がりました。 ハル・ノート、原爆投下、終戦…アメリカではこの証言をもとに、歴史の見方が、世界の見方が少しずつ変わり始めているのに、日本の大手メディアはいっこうにこの事実を大きく取り上げてくれません。太平洋戦争に隠されたその大嘘の数々とはどのようなものだったのか?
例えば、、、
• 日本が真珠湾を奇襲攻撃した1941年(昭和16年)12月8日、アメリカ大統領とイギリス首相は驚きや怒りなどではなく、電話で歓喜に狂ったのは何故か?
• 「絶対に戦争はしない」と誓って大統領に当選したルーズベルト…それなのに、なぜ戦争は始まったのか?国民を騙して戦争に引きずり込んだ、彼の裏の顔とは?
• ルーズベルト大統領と中国の、ただならぬ深すぎる関係。その蜜月はいつから始まったのか? (わたしたち日本人が見過ごしてはいけない事実とは?)
• 日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下…瀕死の日本に、どうしてそこまでする必要があったのか?「原爆が正義だ」という狂気のデタラメを生み出した世界の力関係とは?
• 野球、ジャズ、震災義援金…太平洋戦争よりもずっと昔の明治時代から仲の良かった日本とアメリカが、なぜ戦わなければならなかったのか?
• キリスト教、利権、プロパガンダ、共産主義…日本の知らないところで世界はつながっていた? 日米だけを見ていては理解できるはずのない、70年以上前から存在する寒気のするようなネットワークとは? これを知れば、日本人の常識では気付けない世界の現実が見えはじめます
• 日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった「ハル・ノート」。なぜ、そんな重要な内容を私たち日本人は教えられないのか?アメリカ大物議員すらも「国民への裏切り」だと絶句した、その内容とは?
• アメリカの侵略に怯えるハワイ王国が、なぜ、明治日本に助けを求め、皇室に縁談を持ちかけたのか? そこから浮かび上がる戦前の日米関係と世界の裏事情
• まだ日米関係が友好的だった戦前のアメリカ。日本人も中国人もアメリカに移民していたのに、「排日移民法」が成立して日本人だけが排除されたのは何故だったのか? この差別の裏にあった「妬み」とは?
などなど、ひとつひとつの事実を丁寧に読み解くことで、「日本人が悪かった」というわれわれが信じ込まされてきた太平洋戦争とは真逆の姿、戦争の真実が次々と浮かび上がります。
この講演録を読み終わった後には、きっとあなたの「太平洋戦争のイメージ」は全く変わっていることでしょう。それだけでなく、アメリカと日本を見る目が変わり始めることでしょう。             続く・・・・・・・・・・・・

日本酒のうんちく

<コラム>  日本酒のうんちく

白鶴酒造㈱大阪支社  町田 利博

 師走を迎え慌ただしい日々をお過ごしのことと思います。気付けばもう正月か‼という声が聞こえそうですが、最近は正月も営業する店が増え、昔と比べて正月らしさがなくなったという意見も聞かれます。更に正月も休めないパートの主婦が増えたことは家族団欒の機会が減り、日本の伝統文化の継承を危ぶまれる識者のコメントが散見されます。
 しかしその一方で、普段は日本酒を飲み慣れない若い人も含めて正月は日本酒を飲もうという意識や機運が高まり、コンビニエンスストアでの売上が大晦日夜から正月3日朝にかけて年間のピークに達します。
 今度の正月は令和初めての正月であることから、官民混じり様々なキャンペーンが行われ例年にない盛り上がりが期待されます。日本酒の需要と話題性も高まりが予測されますので、そこで今回は正月に飲む日本酒をご紹介します。
《正月に飲む日本酒》
御神酒(おみき/ごしんしゅ)
・・・日本酒は太古の昔から人が神様と交信するために必要なものと考えられ、大切な供え物として扱われてきました。そのお下がりは神様の力を宿し、無病息災の願いを叶える有り難いものとされ、現代でも神社の初詣などで参列者に振る舞われています。こうした伝統・風習に因み、自宅の神棚の供え物に体裁が良い「御神酒」ラベルを貼った瓶の商品が発売されいます。
鑑開き(かがみびらき)・・・神事の際に酒樽を御神酒としてお供えし、祈祷が済むと中の酒を参列者に振る舞う行事のこと。本来は新年の行事や仕事始めに行われる儀式を指しますが、「鑑」と呼ばれる酒樽の蓋を開けることに由来し、現代では催事イベントの樽開けも含めて「鑑開き」と呼んでいます。「樽酒」として瓶詰で市販されている商品は、この酒樽特有の爽やかな芳香をもち女性から高い支持を得ています。
お屠蘇(おとそ)・・・日本酒や味醂に屠蘇散と呼ばれる薬草を浸したもので、年頭にその年の無病息災と長寿を願い飲む酒です。その風習を残す家庭は減りつつありますが、年末になると店頭で屠蘇袋を見かけます。
祝い酒(いわいざけ)・・・正月は多くの風習や行事で構成される最大の年中行事で、そのほとんどを「めでたい」という言葉で括られる祝いの文化の象徴です。家族・親戚一同で正月を祝う風習が残るのは、一説には「数え年」が用いられた昔は元旦に皆が一斉に歳をとり一緒に喜びを分かち合ったからだといわれます。正月に日本酒の飲酒が増えるのは、国中で「めでたさ」が分かち合う光景がそうさせているのだと言えそうです。祝い酒に特別な決まりごとはありませんが、普段より高級な酒や縁起を担ぐ「干支ラベル」や「金箔入り」に人気が集中します。
《日本酒の種類の見分け方》
日本酒のラベルに商品特長が記載されていますが、専門用語は分かりにくいと思います。以下の説明を参考にしてみてください。
原材料による区分  
【純米系】
米と米こうじだけで製造されているため、一般に米由来のコクを感じる濃醇なタイプの酒が多い。
・純米酒・・・米、米こうじ、水を原料に製造した酒。「米こうじ」の使用歩合を15%以上と規定。(全体の米の使容量を100とした場合、米こうじを15以上使用しないと純米酒と表示できない)「米こうじ」は大変コストが掛かるが、日本酒の品質を左右する重要な原材料。純米酒表示がない「米100%の酒」は米こうじの使用歩合が低く、低等級の米も使用している場合が多い。
・純米吟醸酒・・・純米酒の規定に更に精米歩合60%以下(40%以上を削り落とすこと)と規定され、低温長期発酵により造られた酒。
製造コストがかかるうえ高度な技術が必要。リンゴやバナナのような華やかな香りをもち冷飲用に適す。
・純米大吟醸酒・・・純米酒の規定に更に精米歩合50%以下と規定され、低温長期発酵により造られた酒。米を半分以下まで削るため非常に贅沢な酒。  
デリケートな熟練技術を必要とし酒の芸術品と称される商品が多い。
【本醸造系】さらりとした口あたりで洗練された落ち着きのある味わい、爽やかなタイプの酒が多い。
・本醸造・・・米、米こうじ、水、醸造アルコールを原料に製造した酒。「米こうじ」の使用歩合を15%以上と規定精米歩合70%以下と規定。
醸造アルコールの使用量は白米重量の10%以下と規定。江戸中期に本醸造造りの原型が開発・発展。もろみ醗酵の末期に酵母の活動をコントロールし味わいを良くするほか、日本酒にとって有害な微生物の増殖を抑制する高度で優れた技術として継承される。
特に灘地方の酒は灘の生一本と呼ばれ江戸で爆発的にヒット、高級酒の代名詞と称された。
・吟醸酒・・・本醸造酒の要件に更に精米歩合60%以下と規定。低温長期発酵により造られた酒。製造コストがかかるうえ高度な技術が必要。
リンゴやバナナのような華やかな香りをもち冷飲用に適す。
・大吟醸酒・・・本醸造酒の規定に更に精米歩合50%以下と規定され、低温長期発酵により造られた酒。米を半分以下まで削るため非常に贅沢な酒。
デリケートな熟練技術を必要とし酒の芸術品と称される商品が多く、まさに杜氏の腕の見せ所。
蔵元の技術力を競う全国新酒品評会の出品酒も大吟醸酒が多い。
【普通酒】  上記の酒は特定名称酒と呼ばれるが、その特定名称酒に属さない酒。醸造アルコールを酒税法で認められる規定範囲内で地域や顧客の嗜好に応じ本醸造より多く使用したり、糖類・酸味料などで味わいを調整したものが多い。ご家庭でも晩酌の酒として定着し日本酒全体の7割を占める。
工程による区分  上記の原料による区分に以下の工程による区分を足し合わせて、商品名などに表示されることが多い。
例・・・純米大吟醸 生原酒  純米大吟醸+生酒+原酒
【原酒】 もろみを搾り日本酒ができた時点から、加水によるアルコール分の調整を一度も行っていない酒。一般にアルコール分が17%前後の酒が多いが、嗜好の変化や技術の発達でアルコール分が10%未満の商品も発売されている。米由来の甘みや酵母が生み出した香りを感じやすい。
【生酒/生貯蔵酒】 もろみを搾り日本酒ができた時点から一度も火入れ(加熱殺菌)を行っていない酒が生酒、生酒のまま低温貯蔵し瓶詰時に一度だけ火入れを行った酒が生貯蔵酒。搾りたての風味を味わえ、フレッシュで爽やかな風味の商品が多い。生貯蔵酒はより広範囲で長時間の流通を可能にした優れた商品。また、生酒のなかでも搾る際に圧力をかけず、ろ過袋から自然に染み出た酒を【あらばしり】と呼び、呼び名のとおり味わいの調和よりも突き抜けたフレッシュさを楽しむ商品として発売され人気をよんでいる。
【ひやおろし】 通常の酒は冬から春にかけて仕込んだ酒を火入れし、ひと夏のあいだ熟成させ、瓶詰時に行う二度目の火入れを行うが、【ひやおろし】は封切りしたばかりのタンクの酒の円熟味を楽しむために、瓶詰時の火入れを行わない酒。8月下旬から10月上旬にかけて発売される。
【新酒】 日本酒造りの1年のカレンダーのなかで、1年の始めに仕込みもっとも早い時期に出荷される酒。酒税法上の区分ではなく、ツウの間の定説。
日本酒の酒造年度は7月が期首であるため、7月に仕込み最短で出荷する生酒/生貯蔵酒などは8月中旬に発売が可能で、狭義ではこの酒を新酒に含むが、昔の名残りで日本酒の日である10月1日以降に仕込み、11月中旬以降から春先までに発売する酒を新酒と名付けることが多い。
元来は、秋から翌年の春にかけて仕込んだ酒がひと夏の間熟成され、次の秋から出荷される酒を新酒と呼んだが、生酒/生貯蔵酒の普及により現在のような解釈が広がった。新酒の規定に火入れの有無は無関係だが、イメージ戦略として生/生貯蔵酒で発売される商品が主流。

以上

SDGs てなんだろう? Masters 顧問 島田 仁

<コラム>SDGs てなんだろう?

Masters 顧問 島田 仁

 このところ我々の月例会でもこの話題が出ますので、JICAでこの研修を受けて参りましたので報告します。
内容は、とてもこの紙面では記述できない文字数ですので、ごくごくかいつまんだ説明でしかありませんことを最初にお詫び申し上げます。
2015年9月25日国連総会で採択したMDGs(途上国対応)から変更を加えてSustainable Development Goals
持続可能な開発目標として、政府も経団連も関心を持っている行動計画です。
我が国の対応 日本政府はSDGs推進本部/円卓会議(事務局 内閣官房)
2015年 平和と成長のための学びの戦略
2016年 女性の活躍推進のための開発戦略
2019年 拡大版SDGsアクションプラン
2019年 SDGs実施指針改定予定
経団連
2017年 企業行動憲章 第7版発行
2019年 Society 5.0(超スマート社会)for SDGs
内容は、17の目標、169のターゲット、230の指標となっています。
その為、ここでは紙面の都合上目標のみを掲げることとします。
1.貧困をなくす あらゆる場所や形の貧困を終わらせる。
2.飢餓をゼロに 飢餓を終わらせ、栄養を改善し、持続可能な農業を推進する。
3.すべての人に健康と福祉を あらゆる年齢の全ての人の健康な生活を確保し、福祉を推進する。
4.質の高い教育をみんなに 全ての人への衡平な質の高い教育と生涯学習の機会を提供する。
5.ジェンダーの平等を実現しよう 世界中で女性と少女が力をつけ、ジェンダーの平等を実現する。
6.安全な水とトイレを世界中に 全ての人に持続可能な水の使用と衛生設備(トイレ、下水道など)を保証する。
7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに 全ての人が、安くて安定的に発電してくれる、持続可能なエネルギー
(太陽光、風力などの再生可能エネルギー)が使えるようにする。
8.働きがいも 経済成長も  みんなが参加できる持続可能な経済成長を促進し、全ての人が職を持ち、働きがいのある人間らしい仕事ができるようにする。
9.農業と技術革新の基盤を作ろう。 災害に強いインフラをつくり、みんなが参加できる持続可能な産業化を進め、
新しい技術を生み出しやすくする。
10.人や国の不平等をなくそう 国内及び国家間の格差と不平等を減少させる。
11.住み続けられるまちづくりを まちや人びとが住んでいるところを、誰もが受け入れられ、安全で、災害に強く、持続可能な場所にする。
12.つくる責任 使う責任  生産と消費のパターンを持続可能なものにすることを促進する。
13.気象変動に具体的な対策を 気象変動とその影響を軽減するための緊急対策を講じる。
14.海の豊かさを守ろう 海と海洋資源を守り、持続可能な利用を促進する。
15.陸の豊かさも守ろう 陸の生態系を保護し、持続可能な利用を促進し、森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地の劣化、生物多様性の喪失を止める。
16.平和と公正をすべての人に 平和的で、誰一人のけ者にされない社会と、すべての人が法律に基づいた手続きをとれるようにする。あらゆるレベルで効率的で説明責任ある能力の高い行政を実現する。
17.パートナーシップで目標を達成しよう 目標達成のために必要な行動を強化し、持続可能な開発に向けて世界の国々が協力する。

以上

参考文献:「基本解説 そうだったのか。SDGs」SDGs市民社会ネットワーク
JICA-NGO提言型研修プログラム SDGsとは何か 近畿大学 新田和宏

日本酒のうんちく 白鶴酒造㈱大阪支社 町田 利博

<コラム>  日本酒のうんちく                   

白鶴酒造㈱大阪支社  町田 利博

 朝夕の気温が下がり日本酒が恋しい季節に入り、日頃は日本酒を飲み慣れない私の友人や仕事で知り合った方たちからも、日本酒を飲みに行くお誘いを受ける機会が増えました。その際、秋冬の旬の季節料理も美味しくいただける店がいいというリクエストを必ず受けます。
 そこでふと疑問がわきます。何故この季節になると日本酒が恋しくなるのでしょうか?日本酒の旬はいつなのか?旬の料理と一緒に味わいたいと思うのは何故なのか?同じことを友人から質問を受けます。答えは単純明快に「今、美味しく感じるから」ということなのでしょうが、それには他の酒類にはない日本酒ならではの魅力があるからに違いありません。これからこのコラムで何回かに分けてその謎を紐解きたいと思いますが、「論より証拠」、今回は身近な料理で体験できる方法でご説明します。
 日本酒が本当に美味しく感じられるのは秋冬で間違いなさそうです。これは酒蔵で日本酒を搾ってから出荷するまでに起こる“熟成”が深く関係するのですが、今回は秋冬によく登場する料理との相性に着目して説明します。
 秋冬の料理の特長は、魚でいえば「旨みの強さ」「脂の多さ」です。産卵期の関係で春夏が旬の魚もありますが、寒ブリ、寒サバ、戻り鰹、秋刀魚、鮭、鱈など秋冬の方が食卓を賑わします。しかし、これらの旨みを蓄えた魚は死後、旨み成分の一つであるトリメチルアミンオキサイドという物質が細菌によって分解され、トリメチルアミンという「魚の生臭さ」、不快臭の原因物質になってしまいます。
 このトリメチルアミンはアルカリ性であるため、酸性である日本酒と口のなかで混ざることで中和され生臭みがぐっと軽減されます。また、アルコールが蒸発する際にトリメチルアミンが同時に揮発され「魚の生臭さ」を飛ばします。ビールやワインにも同様の効果はありますが、アルコール度数の高さで日本酒の方が優位です。更に熱燗にするとアルコールの蒸発が進むのでより効果的です。また、日本酒と他の酒類との大きな違いは、お酒の旨み成分の一つであるグルタミン酸の量です。米由来のアミノ酸が豊富な日本酒は他の酒類と比べてグルタミン酸の量が桁違いに多いのが特長です。このグルタミン酸は魚の最たる旨み成分であるイノシン酸と好相性で、この2つが出会うと瞬時に結合し旨みを増幅させます。鍋料理を作る際に魚の削り節やアラと混布や野菜で出汁をとるのは、魚のイノシン酸と混布や旬野菜のグルタミン酸が混ざると旨みが増すことを、舌が経験的に知っているからなのです。
 更に旬の魚の脂の多さも日本酒を美味しいと感じさせる大きな要因です。脂の美味さは「甘み」「コク」です。日本酒にはグルタミン酸の他コハク酸という旨み成分が多く含まれています。コハク酸は「まろやかさ」「ほんのりした甘さ」を感じさせ、温度が高いほどその効果は高まりますので、口のなかで料理と日本酒がまろやかに感じられコクが余韻となって広がるのです。
 ここまで書くと日本酒だけが万能なのか?という声も聞こえてきそうですが、ご家庭で試せる方法を紹介しますのでぜひ体験してください。
 はじめに、脂がのったブリやサバをしゃぶしゃぶで楽しんでください。日本酒の他、ビールやワイン、焼酎と一緒に味わってみてください。魚の生臭みが消え、旨みを最も感じるのは日本酒だと気づかれるはずです。次に鍋の出汁を飲んだ後に先程と同様にいろいろなお酒を試してみてください。もう一度、出汁と日本酒をおかわりされるはずです。熱燗なら尚更です。最後に出汁割りを楽しんでください。「上撰白鶴」のように甘みを感じる中口でクセがないお酒がベストです。熱々の出汁と熱燗を1:1で割って飲むと唸り声を上げるはずです。辛口の日本酒をお好みの場合は、出汁2:日本酒1の割合が程よい加減です。フグひれ酒のようなスカッとした味わいを感じます。
 これらのことは、寄せ鍋やおでん鍋と同じ原理で、鶏や豚肉のグルタミン酸、魚のイノシン酸、貝類のコハク酸が鍋のなかで混ざり旨みを増幅し合っているのです。日本酒を秋冬の旬の料理に合わせたくなるのは「口のなかが寄せ鍋状態」と同じになることを舌が憶えているからなのです。特に熱燗は効果的なので、日本酒も旬を迎えたように意識させるのだと考えます。勿論、ビールやウィンでも美味しくいただけますが、ビールの苦みやワインのリンゴ酸は味わいをシャープにし、料理の旨みを洗い流す作用に働きます。折角の旨みを洗い流すのは勿体ないと思いませんか?

 さて時事ネタを一つ、業界内で最も旬な日本酒をこっそりご紹介します。まずはそのお米のストーリーから。
 兵庫県三木市吉川町は全域が酒米の王者「山田錦」の最高の産地、つまり「特A地区」であります。山田錦は大正12年(1923年)に山田穂を母品種、短棹渡船を父品種として人工交配され、品種比較試験の結果、最も優れた米として選抜したものです。交配から13年後の昭和11年(1936年)に「山田錦」と命名されました。以来80年以上経過しましたが、今なお山田錦を超えたといえる米は現われていません。これ程長期にわたり王座に君臨する農作物の品種は極めて稀です。品種改良の常道は、優良品種と別の優良品種を掛け合わせて更に優良な子品種を得ることですが、残念ながら山田錦が優秀過ぎて、自分を超える子品種が生まれませんでした。
 そこで白鶴は原点に戻り、山田錦の兄弟品種のなかから兄を超える品種を探そうと考えました。平成7年(1995年)に70年ぶりに両親品種である母の「山田穂」と父の「渡船」を交配させました。それは阪神大震災の年の秋でした。最初に生まれた800株から数年間、比較選抜を繰り返し17系統を選択。吉川町の田圃の一角を借りて社員が田植えから稲刈りまでの作業を行いました。そして、ようやく山田錦に勝るとも劣らない最高の1株を見つけ、平成19年(2007年)に品種登録しました。「白鶴が自信をもって山田錦に引けを取らない兄弟米を届けたい」という想いを込めて白鶴錦と命名。交配から実に12年が経過、神戸は震災からようやく復興を果たし、震災前の活況を取り戻していました。
 もう一つの有名産地である兵庫県多可郡多可町の東安田地区は、白鶴錦と山田錦の母品種の「山田穂(ぼ)」が発見されたと言われている地域です。吉川で生まれた白鶴錦が酒米として本格的に栽培されるようになったのがここ多可町です。母の山田穂(ぼ)は良い酒米でしたが、背が高く茎が太く稲刈が大変でした。そこで背の低い短棹渡船と交配して長男の山田錦が生まれたのです。
 白鶴錦の籾と父の渡船を見比べると、渡船には長い髭のような突起物があるのがわかります。これは「ボウ」と呼ばれるものですが、長男の山田錦に受け継がれず、白鶴錦には遺伝しています。ボウは野生の米の特徴ですが、収穫や種籾を取るときに不便なので品種改良の過程で選別され、栽培品種でボウを持つものはほとんどなく現代米でも同様です。もし皆さまが田圃でボウのある稲穂を発見したら、それは白鶴錦か父の渡船かもしれませんね。
 この白鶴錦は当初から他の蔵元様にも使っていただくことを念頭に開発しましたが、今では全国各地の銘醸蔵で高く評価されご使用いただいています。以下は白鶴錦を使用された話題の銘柄です。  ■十四代 純米吟醸 白鶴錦 ■東洋美人 純米大吟醸 白鶴錦 ■東一 純米吟醸 白鶴錦 ■作 純米大吟醸 白鶴錦 ■雨後の月 純米大吟醸 白鶴錦 ■くどき上手 純米大吟醸 白鶴錦 ■梅錦山川流 純米吟醸 白鶴錦 ■白鶴 純米大吟醸 白鶴錦 ■白鶴 天空 純米大吟醸 白鶴錦   これらの商品は流通量が少ないため、めぐり合えば幸運といえますが、白鶴酒造では特別に「灘の生一本 白鶴錦」を季節・数量限定で発売いたします。協同組合Masters様を通じてご案内差し上げますのでこの機会にぜひご賞味ください。

天安門事件30年――日中それぞれの国柄を考える契機に(※7月の続き)

<コラム>天安門事件30年――日中それぞれの国柄を考える契機に(※7月の続き)

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

王氏の分類を私なりに解釈すれば次のように言えるでしょう。
広大な大陸国家である中国は、伝統的に民族の移動が激しく、様々な王朝が頻繁に入れ替わってきた。「文化」も入れ替わり、継続性に乏しく、共有もされにくい。中国では、文化を育むはずの村落などの地域共同体(中間共同体)もあまり発達しなかった。国民相互の連帯意識や愛国心の育成も困難だった。そのため、秩序を作るためには強大な政治権力に頼るしかない。中国では伝統的に強権的な中央集権国家しかほぼ作られてこなかったのはそのためである。
他方、島国である我が国は、人の移動があまりなく基本的に定住型の社会を作ってきた。地域社会の形成も進んだ。そのため、常識や慣習、慣行などの「文化」が継承されやすい。国民相互の連帯意識や愛国心も比較的育みやすい。強大な政治権力頼らずとも、人々の常識や慣行、規範意識、連帯意識によって秩序形成は比較的容易である。
実のところ、日本で自由民主主義のような穏健な政治が可能なのは、日本が「文化社会」だからであろう。
天安門事件から30年が経過しましたが、「権力社会」としての中国の特質はあまり変わっていないようです。
だが国家による管理の手法は、非常に進化したように見えます。最近、英語圏の論説で「デジタル権威主義」とい
う言葉をよく目にします。「デジタル権威主義」とは、国家がIT(情報技術)やAI(人工知能)などの科学技術を駆使して国民生活を隅々まで監視し、管理する体制を築き上げていくことを指します。
最近、中国は電子マネーを急速に普及させ、キャッシュレス社会の実現を進めているが、これは金の流れを記録し、国家管理を強めるためでもあります。国民の信用度を数値化した「信用スコア」の政府による利用も進んでいると聞きます。新しい形の権威主義国家体制の構築が進んでいるとみることができるでしょう。
では、我が日本はどうでしょうか。日本は、自由民主主義を今後も続けることができるのでしょうか。現在のままだと、私は少々悲観的です。
天安門事件があったのはちょうど平成元年ですが、そのころから日本は、徐々に構造改革を進め、「グローバル化」(多国籍企業中心主義化)を目指してきました。
その結果、国民生活は疲弊し、多くの地方は廃れ、少子化や東京一極集中も進んでいます。
今年からは、人手不足を補い、多文化共生を進めるなどの名目で外国人単純労働者の受け入れも始まりました。
グローバル化を目指すこうした構造改革が今後も進めば、日本社会も徐々に「文化社会」から「権力社会」へと移行せざるを得ないのではないでしょうか。
日本でも「文化」の共有の条件は崩れ、秩序を作り出すのが非常に難しくなります。 「文化」の共有のないバラバラの個人の間に秩序を作り出すためには、中国のように管理国家化を進めざるを得なくなります。日本でも最近、中国に倣ってか、「信用スコア」という言葉をときおり目にします。日本も、テクノロジーを使った外見上ソフトな管理国家化に進んでいくのではないでしょうか。「グローバル化」を進めるとすれば、そうでもしないと安定した秩序は作れませんからね。
いやですよね、こういう流れは。私は、日本は「文化社会」であり続けてほしいと思います。
天安門事件30年を、日本や中国の社会的特質の相違、今後の日本社会のあり方について改めて考えてみるきっかけにするべきではないかと思います。

天安門事件30年――日中それぞれの国柄を考える契機に 施 光恒(せ・てるひさ)

<コラム>天安門事件30年――日中それぞれの国柄を考える契機に

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

天安門事件は1989年6月4日のことですので、今月はちょうと30年目に当たります。
天安門事件以降、中国は、経済発展は著しいものの、民主化への動きはほとんどみられません。今後はどうでしょうか。私は、やはり民主化は難しいのではないかと思います。
中国民主化運動のシンボルと言われ、天安門事件以後、米国に逃れた天文物理学者の方励之氏は、事件から5年後の1994年に『朝日新聞』とのインタビューで、「民主化運動の現状は?」と問われ、中国の民主化への展望について次のように語っていました。「高まっているとは言い難い。だが、それは人々が改革を望んでいないことは意味しない。それを表明できないことが問題だ。このためまず言論・報道の自由が必要だ。それが保障されれば、民主化への道を歩み始めたといえると思う。民主化のシンボルである中身のある複数政党制が、これに続くべきだと思う」(「中国民主化、まず言論・報道の自由を 天安門事件5周年で方励之氏に聞く」『朝日新聞』1994年5月4日付朝刊)
方励之氏は、このように言論・報道の自由が保障され、その後、複数政党制に移行するという民主化への道筋を思い描いていたようですが、どちらもまったくその兆しがみえません。
私は、もうだいぶ以前ですが、ある中国人の男子留学生と中国の民主化について話した時のことが記憶に残っています。その学生も、中国の民主化は困難だろうという見方でした。理由の一つは、中国には複数政党制はなじまないから、ということでした。 彼はだいたい次のようなことを述べました。
「広大な国土を持つ中国は、民族も言葉も宗教も本来的には多様である。国民相互の連帯意識や相互扶助意識も薄いと言わざるを得ない。そのため、国全体でほぼ均一の支持を得ることができる全国政党の成立は難しい。国政選挙を実施すれば、各地域で勝利する政党が大きく異なり、その結果、国が分裂し、混乱状態に陥る危険性がある。
中国人としては、国の分裂や混乱はやはり避けたい」。
私は、さらに問いました。「では、各地域の自治を認め、連邦制を採用したらどうだろうか?」その留学生の見解は次のようなものでした。 「連邦制も望ましくない。連邦制を採用すれば、例えば米国などの外国勢力がいずれかの地域に干渉し、親米勢力の浸透を図り、やはり中国をバラバラにしようと策略をめぐらしてくる可能性があるから」。
留学生とのこのやりとりが記憶に残っているのは、中国の民主化の難しさが端的に表れているからです。
国土が広大で、民族や宗教の構成も本来的には非常に多様な中国は、国全体をまとめ、安定した秩序を作っていくのが非常に難しいのです。「自由民主主義」という穏健な政治制度では、なかなか統治しきれないのでしょう。
これに関して、法文化論や刑法学などがご専門の一橋大学教授の王雲海氏の著書『「権力社会」中国と「文化社会」日本』(集英社新書、2006年)はとても興味深い観点を提示しています。
王氏は、日本と中国の社会を比較して、日本を「文化社会」、中国を「権力社会」と称しています。
王氏によれば、中国の社会を作り上げているのは根本的には政治権力です。
「中国社会の原点は国家権力にほかならず、国家権力こそが中国社会における至上的なもの(原理・力・領域)である」。 他方、日本の場合は、社会を作り上げているのは「文化」だと王氏は述べます。ここで「文化」とは、いわゆる常識、慣習、慣行、人々の伝統的道徳意識といったものを指します。王氏は次のように書いています。「社会の原点が何かという点から見ると、日本社会の原点は文化であって、文化こそが日本社会における第一次的なもの(原理・力・領域)である。いいかえれば、日本社会においては、社会現象をもっとも多く決定し、個々の国民の行動や生活にもっとも大きな影響及ぼすのは、権力でもなければ法律でもなく、むしろ、それら以外の「非権力的で非法律的」な常識、慣習、慣行などの、公式化されていない、民間に存在している文化的なものである」

・・・・・・・続く

日本酒のうんちく  白鶴酒造㈱大阪支社  町田 利博

<コラム>  日本酒のうんちく  白鶴酒造㈱大阪支社  町田 利博
 日本酒はその呼び名からわかるように、日本民族に固有な、長い歴史と伝統を持つ優れたお酒です。
また、日本酒は「清酒」とも呼びます。その語源は日本酒の生い立ちに由来し、酒税法上の分類に「清酒」と定義しています。「清い」という言葉は日本文化のポイントであり、「清い酒」という名称が千年以上も昔から今日まで使用されている事実は、日本酒は文化として受け継がれ発展してきたことを示しています。
日本酒は単なるアルコール飲料ではなく、フランスワイン、スコッチウイスキー、ドイツビールに匹敵する日本の文化的財産といえます。<コラム>をお読みいただいた皆さまの日本酒に対する関心が高まり、飲用機会が増えれば幸いです。

1.日本酒のトレンドについて
・高齢者を中心とするヘビーユーザーの飲酒量低下、若年層を中心とする低関与層の拡大により、マイナス成長続く。
・しかし、付加価値が高い比較的高額な商品の売上は増加。海外輸出が好調であるほか、インバウンド消費が日本人の低関与層を刺激し、国内消費にも明るい話題。
・2018年国内市場規模・・・約331,000百万円。 酒類全体の約1割占め、ビール類を除き、市場規模は乙類焼酎に次いで2番、輸入ワインの約2倍、梅酒の約10倍以上占める。
・製法別では、「普通酒」「本醸造」は減少傾向である一方で、「純米大吟醸」「大吟醸」「純米吟醸」 「吟醸」「純米」は増加。

2.日本酒の歴史  ~口噛み酒から清酒と呼ばれるまで~   ※奈良時代以前の説は推測です
【口噛み酒】穀類など澱粉質食糧での酒造り
・縄文後期・・・穀類を噛み唾液と混ぜることで澱粉質が糖化。野生の酵母が混入し醗酵。
東アジア一帯・東南アジア・南太平洋・中南米などで用いられていた製法とされる。縄文前期~中期にかけて国内の遺跡から山葡萄などで果実酒を造っていたと推測できるものが出土されており、後期には食糧である穀類の片栗・ユリの根・アワ・ヒエで酒を造っていたと考えられている。更に国内でも米の水田耕作が行われていたことも確認されており、「米」を原料にした酒があった可能性あり。
-国内での文献の初見は奈良時代初期。「大隈国風土記」「古事記」。
-明治時代まで沖縄で祭事用の酒に用いられる(うるち米使用)。酒名を「噛ミシ」といい、 「醸し」の語源との説も。
【米と米麹の酒】日本酒の原形(独自技術)
・弥生時代・・・三世紀「魏志倭人伝」 、邪馬台国で葬送の習俗として広く普及。「米麹」の使用は推測であるが、「米」の調理方法として炊飯ではなく蒸米(強飯)を行っていたので、「米麹」を使った酒があったとの説。
-「米麹」の使用については、奈良時代「播磨国風土記」に文献上の初見。
-カビが生えた米・・・「加無太知」「加牟多知」(噛む+カビ立ち)といい、「麹」の語源説に。
【清酒の登場】
・飛鳥後期・・・遺跡(木簡)に「須弥酒(すみさけ)」。「須弥」は濁った酒の上澄みを絹で濾すこと。奈良時代に「澄み」へ。
・奈良時代・・・平城京跡出土の木簡と文献「奉写経初解」に「清酒」の文字。
・平安時代・・・現在の宮内省にあたる役所の一部「造酒司(さけのつかさ)」で清酒製造を行う。
-律令「延喜式」に15種類の仕込法・配合表・酒造時期・酒造用具・原料米の使用高の記述。そのなかの「六そう(艘の舟なしの字)」の記述は大量の酒を漉し清酒を造っていた証し。
-計76人の官人(役職)と(大和・河内・摂津の酒造集団185戸)が従事。
◎江戸時代に鴻池の酒蔵で丁稚が腹いせに炭素を投入して「清酒」が誕生したという話は、庶民の読み物「喜遊笑覧」に登場する作り話。 日本酒は「清い酒」として昇華し、「文化」として継承され「産業」として発展を遂げましたが、それを支えたのは先人たちの弛まない努力による技術革新でした。次月のコラムでは、清酒製造の技術について掘り下げながら、今日の発展に大きく貢献した「灘の酒」「宮水」もご紹介しますが、最後に、今も賛否の論争がある「醸造アルコールの添加」は江戸時代に確立された技術であることに触れて締めくくります。

3.日本酒の歴史  ~技術の変遷  江戸時代~
・発酵末期の「もろみ」に醸造アルコールを添加し、「本醸造」や「普通酒」を造る技術。俗に「アル添」といわれる。
・江戸時代前期、「寒造り」を伊丹流が確立したことで、池田、伊丹が一大産地に発展。伊丹で酒質改善を目的として、試行錯誤の末、「もろみ」に「焼酎」を添加。辛口酒として絶賛され、灘地方にその技術が受け継がれ、世界最大の消費地とされる江戸において隆盛を極める。
・品質が長持ちししっかりとした味わいは「風味しゃんとして足強く」と評され、アル添を「柱を立てる」と呼ぶ。

以上