天安門事件30年――日中それぞれの国柄を考える契機に 施 光恒(せ・てるひさ)

<コラム>天安門事件30年――日中それぞれの国柄を考える契機に

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学

天安門事件は1989年6月4日のことですので、今月はちょうと30年目に当たります。
天安門事件以降、中国は、経済発展は著しいものの、民主化への動きはほとんどみられません。今後はどうでしょうか。私は、やはり民主化は難しいのではないかと思います。
中国民主化運動のシンボルと言われ、天安門事件以後、米国に逃れた天文物理学者の方励之氏は、事件から5年後の1994年に『朝日新聞』とのインタビューで、「民主化運動の現状は?」と問われ、中国の民主化への展望について次のように語っていました。「高まっているとは言い難い。だが、それは人々が改革を望んでいないことは意味しない。それを表明できないことが問題だ。このためまず言論・報道の自由が必要だ。それが保障されれば、民主化への道を歩み始めたといえると思う。民主化のシンボルである中身のある複数政党制が、これに続くべきだと思う」(「中国民主化、まず言論・報道の自由を 天安門事件5周年で方励之氏に聞く」『朝日新聞』1994年5月4日付朝刊)
方励之氏は、このように言論・報道の自由が保障され、その後、複数政党制に移行するという民主化への道筋を思い描いていたようですが、どちらもまったくその兆しがみえません。
私は、もうだいぶ以前ですが、ある中国人の男子留学生と中国の民主化について話した時のことが記憶に残っています。その学生も、中国の民主化は困難だろうという見方でした。理由の一つは、中国には複数政党制はなじまないから、ということでした。 彼はだいたい次のようなことを述べました。
「広大な国土を持つ中国は、民族も言葉も宗教も本来的には多様である。国民相互の連帯意識や相互扶助意識も薄いと言わざるを得ない。そのため、国全体でほぼ均一の支持を得ることができる全国政党の成立は難しい。国政選挙を実施すれば、各地域で勝利する政党が大きく異なり、その結果、国が分裂し、混乱状態に陥る危険性がある。
中国人としては、国の分裂や混乱はやはり避けたい」。
私は、さらに問いました。「では、各地域の自治を認め、連邦制を採用したらどうだろうか?」その留学生の見解は次のようなものでした。 「連邦制も望ましくない。連邦制を採用すれば、例えば米国などの外国勢力がいずれかの地域に干渉し、親米勢力の浸透を図り、やはり中国をバラバラにしようと策略をめぐらしてくる可能性があるから」。
留学生とのこのやりとりが記憶に残っているのは、中国の民主化の難しさが端的に表れているからです。
国土が広大で、民族や宗教の構成も本来的には非常に多様な中国は、国全体をまとめ、安定した秩序を作っていくのが非常に難しいのです。「自由民主主義」という穏健な政治制度では、なかなか統治しきれないのでしょう。
これに関して、法文化論や刑法学などがご専門の一橋大学教授の王雲海氏の著書『「権力社会」中国と「文化社会」日本』(集英社新書、2006年)はとても興味深い観点を提示しています。
王氏は、日本と中国の社会を比較して、日本を「文化社会」、中国を「権力社会」と称しています。
王氏によれば、中国の社会を作り上げているのは根本的には政治権力です。
「中国社会の原点は国家権力にほかならず、国家権力こそが中国社会における至上的なもの(原理・力・領域)である」。 他方、日本の場合は、社会を作り上げているのは「文化」だと王氏は述べます。ここで「文化」とは、いわゆる常識、慣習、慣行、人々の伝統的道徳意識といったものを指します。王氏は次のように書いています。「社会の原点が何かという点から見ると、日本社会の原点は文化であって、文化こそが日本社会における第一次的なもの(原理・力・領域)である。いいかえれば、日本社会においては、社会現象をもっとも多く決定し、個々の国民の行動や生活にもっとも大きな影響及ぼすのは、権力でもなければ法律でもなく、むしろ、それら以外の「非権力的で非法律的」な常識、慣習、慣行などの、公式化されていない、民間に存在している文化的なものである」

・・・・・・・続く