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経済評論家 / 経世論研究所所長 三橋貴明 (月間三橋 より転載) 会長 濱出健一

<コラム>経済評論家 / 経世論研究所所長 三橋貴明 (月間三橋 より転載) 会長 濱出健一

“日本は、世界の覇権国になる力がある”

経済評論家、三橋貴明は、公表されたデータや事実に基づいた主張でさまざまな「デタラメ」を暴いてきたことで知られる。韓国企業が躍進している中「日本も韓国に見習え」という空気が強かった時代には、データに基づいて、本当は脆弱であった韓国経済の正体を暴いた。
 「国の借金」が莫大だ、借金1000兆円で日本がデフォルトすると言われてた頃には、政府の負債(「国の借金」という呼称は誤りです)が100%日本円建てである以上、親会社(日本政府)が子会社(日本銀行)に借金する、つまりは日本銀行に国債を買い取らせるだけで、負債の返済負担が事実上消える。現実には財政問題など存在せず、日本経済は世界で一二を争うほど、強く健全だという事を明かした。
もともと日本は昔から大国で、今でも世界の覇権を握れるポテンシャルはある。しかし、このような間違った情報や、マスコミの自虐史観などのせいで、本来のポテンシャルを発揮できず、日本が「衰退途上国」と化していっている。三橋貴明は、それを正すため10年以上も、さまざまな形で情報発信、言論活動を続けてきた。異能の国士であり経済評論家である。
 あなたは、「日本が中国の属国になる」と言われて、どんな印象を受けますか?
日本は今、様々な危機に瀕していると言われています。
・間違った経済政策によって、もう20年以上もデフレーションが続いています
・世界でも類を見ない少子高齢社会に突入し「成長は不可能」と悲観ムードが日本を覆っています
・年金制度は破綻したとされ、将来もらえる年金額は更に削られようとしています
・医療保険も破綻したとされ、国は私たち国民に更なる負担を強いようとしています
・労働者不足だからと低賃金の移民を受け入れた結果、日本人の給料も低くなりました
・インフラが老朽化し、地震、台風、噴火、津波といった自然災害に耐えきれなくなっています
このまま日本は衰退するだけと言われています。しかし、本当にそうなのでしょうか?日本はこのまま衰退するしかないのでしょうか?年金制度も医療保険も日本の財政も、全て破綻しているのでしょうか?
「そうではない」と三橋貴明は断言します。
日本はかつて、欧米列強の植民地支配からアジアを解放するほどの力をもった強国でした。激しい局地戦、本土への空襲、2発の原爆を落とされ、ボロボロになったにもかかわらず、必死で欧米に食らいつき、大東亜戦争に敗北した後も、わずか20年で世界第二位の経済大国にのし上がった大国でした。日本の底力はこんなものではありません。まだまだ経済成長する可能性が残されています。
超少子高齢社会は一見ハンデに思えますが、それすらもチャンスに変えることも可能だと三橋貴明は言います。全ての国民が豊かになる経世済民の国家は、十分、実現することができるのです。ただ、経世済民の国家を実現するためには、正しい経済の知識を世に広める必要があるのですが、従来のメディアには数々の問題があり、われわれ国民は、正しい知識を手に入れることができません。
「米中貿易戦争のカラクリ~99%の日本人が気づいていない新パラダイムへの大転換」
2018年3月、アメリカは輸入される鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の関税を課す輸入制限を発動させた。その後、関税等のターゲットは中国に絞られ、中国も報復措置に出るなど、「米中貿易戦争」の様相を呈する情勢となった。
また、9月26日に出された日米共同声明には「日米両国は,第三国の非市場志向型の政策や慣行から日米両国の企業と労働者をより良く守るための協力を強化する。したがって我々は,WTO改革,電子商取引の議論を促進するとともに,知的財産の収奪,強制的技術移転,貿易歪曲的な産業補助金,国有企業によって創り出される歪曲化及び過剰生産を含む不公正な貿易慣行に対処するため,日米,また日米欧三極の協力を通じて,緊密に作業していく。」と、明らかに中国をターゲットとして、不均衡な貿易に対処していくとコミットしている。
ところが、安倍総理は10月に訪中し、習近平国家主席らと会談。この際、数百人もの日本の経済人を引き連れ、中国の企業と50を超える覚書を交わしたという。アメリカから見れば「米中貿易戦争」で日本は中国側につくと宣言したに等しい。
アメリカ国防総省が「一帯一路は中国の軍事戦略である」とまではっきり言っているなか、日本はどうなってしまうのか。    皆様はどう思われますか?・・・・・・・・・・・・・・・・・
 

全国福利厚生共済会 個人事業・中小企業向け福利厚生及び福利厚生ビジネスモデルのご案内

(株)近畿医療システム 取締役 大河内康寛( 分)
①商材名:全国福利厚生共済会 個人事業・中小企業向け福利厚生 及び 福利厚生ビジネスモデルのご案内
②対象:個人・個人事業・法人事業を問わず適応
③アピールポイント:近年、働き手の多様化(共働・女性就業率の増加など)やライフスタイルの変化によって求職者の求めるモノが以前と異なって来ています。
賃上げは勿論の事ですが、福利厚生の充実にも目が向けられている現状があります。
各企業単位では大企業のような充実した福利厚生は難しいため導入が見送られている企業も多くあります。
ご案内させていただくモノは、個人・個人事業・中小企業に少しでも大企業に近い福利厚生を提供できるモノになります。
ライフサポートの充実や保険・医療・旅行などわたるサービスが受ける事ができます。

―お布施の話―/会長 濱出 健一


<コラム> ―お布施の話―     会長 濱出 健一
前回の月例会で私がお話させて頂いたことを再度コラムに書かせていただきました。
お釈迦様のお弟子さんに目連尊者という方がいらっしゃいます。
目連は修行で神通力を得た人で、神通第一として称えられるほどの人です。
ある日、目連は「私を育ててくださった母親は元気だろうか?」と思い、神通力を使って母親を透視することにしました。天道、人減道、修羅道、畜生道と透視しましたが母親を見つけることが出来ず、地獄を透視すると母親は我鬼道にいることを知りました。餓鬼道とは食べた物が炎となり、飲み水が熱湯となる世界です。そして空腹のゆえに腹は腫れ、鬼の姿として生きるのです。
目連はその姿に戸惑いました。たくさんの食べ物や飲み物を用意してくださった心の優しい母親がなぜ餓鬼道という苦しい世界に落ちたのか。その理由をお釈迦様に尋ねることにしました。
お釈迦さまは「あなたの母親はあなたには優しかった。しかし、あなたの母親は他人に施すことがありませんでした。」
あるとき、目連の母親が両手いっぱいの食べ物を運んでいたとき一人のお坊さんが「何か食べ物を恵んでくださいませんか」とお願いしたところ「これは目連の分だからあんたにあげる物何もないよ」と言って去っていきました。また、目連の母親が大きな水瓶を持っていた時、村人が「暑くて意識がもうろうとして今にも倒れそうだ。良ければその瓶の水を分けていただけないだろうか」とお願いすると、母親は「これは目連の分だからあんたにあげる物は何もないよ」と言って去っていきました。
目連の母親の心は貪りの心にとらわれていたのです。そのため、欲しくてもその渇きを潤すことのできない餓鬼道に落ちてしまったのです。さて、目連はそれでも母親を救いたいと願い、お釈迦様にどうすれば助けられるかと尋ねたところ、「母親が他人にしなかったことをしてあげなさい」と言われました。目連はさっそくお坊さんや村人を集めてたくさんの食べ物、飲み物を施したところ母親が天道に昇る姿が見えました。目連はうれしさを体で表現しました。一説にはその動きが今日の盆踊りとして伝わったと言われています。また、目連の施しは盂蘭盆会(お盆)として日本に伝わり、私たちもご先祖様に施しをするようになったと伝わっています。目連の母親に足りなかったものは布施の心です。布施と言ったらお坊さんに渡す物を思いますが、それは布施の一部にすぎません。 物やお金がなくても人のために無償で動くことが布施です。
他人のために何かをして、互いに助け合うことが大切なのではないでしょうか。
この考え方が協同組合の根底の精神であり互いに助け合うということが自分にも利益をもたらすという結果になり、ともに栄えるということです。
話を変えると、『欲せんとするには先ず与えよ』ということです。
「愛される〇〇」という言葉があります。
それはこの愛されるを愛するに変えて座右の銘の一つにされてはどうでしょうか?
もちろん愛するは愛されるを意味し、本質的にも結果的にも同じです。
しかしながら、私には、されるは「俟(ま)つあるを恃(たの)み」となり、するはより能動的な、一歩前進に思われます。
また、愛される前に愛することは観念的にも道義的にもそうあるべきで、その真理は「播かぬ種は生えぬ」の道理に通じ、「欲せんとするには先ず与えよ」の精神です。また「果たして求める」の結果かと思います。
さて、この愛という言葉についても、いろいろと解釈は有りますが、私がもっとも共鳴するのは、「愛とはその人の気持ちになること」と、具体的に定義づけた解釈です。
「相手の身になって考える」ということです。
例えば、親が子に何かを買い与えてやる場合も、その子供の気持ちを知らず自分本位の考えによる品物では、子供にそっぽを向かれてしまう可能性があるわけです。それは、夫婦、兄弟、友人、あるいは職場等のすべての関係に共通します。お互いが相手を理解してそれを叶えてやるのか、またそのように努力する、この現代社会においては、とくに必ず必要になる条件ではないでしょうか。
皆様、是非「協同組合とは何ぞや」ということを今一度深く考えて見てはどうでしょうか。
考える場に参加して見てはどうでしょうか。
議論する場に参加して見てはどうでしょうか。


「他利」とは何か?
次回月例会は、11月21日(水)15時より開催します。
※独自の技術・商材に興味や情報をお持ちの方、コラボレーションにご興味のある方はお気軽にご連絡下さい。
連絡先:TEL06-6110-8050 E-mail:ryu.takahara@masters.coop 協同組合Masters 担当:高原、濱出

静電気応用活水装置『SUPRION(スピリオン)』 (有)エコナカジマ

静電気応用活水装置『SUPRION(スピリオン)』 (有)エコナカジマ 中嶋要次(40分)
・自己発生静電気を応用した画期的な水処理器
・水分子と溶解物の静電気結合力を高めて高濃縮でもスケール抑制
・無電力・無薬注で水障害(スケール・錆・スライム)対策
・熱交換効率維持による省エネ効果、生産性向上
・これ1台で、建物内外のすべての水をスピリオンGの水に!
・産業用水処理器の実力を家庭でも活かします。
スピリオンGは、水が流れる力を利用して、水中に静電気を網膜状に
放射する装置です。水分子(H?O)は、その分子自体が+、-の両極を
有し、この静電子ゾーンを通過する時に強い衝撃とエネルギーを受け、
スピリオンGの水が生まれます。
特徴
・水道メーター以降に据付けますので、キッチン廻りだけでなく、家庭内すべての
給水口で家族全員が利用できます。
・フィルターなどの定期交換部品がなく、電源も不要で、ランニングコストがかからず
大変経済的です。
・水道局が殺菌のために入れている塩素は除去してないので、安全で安心な水が使用出来ます。
・(社)日本水道協会の「給水器具等」の認証登録品ですので、水道管同様一度据付ければ、
長期間効果が持続します。メンテナンスも不要です。
・コンパクトで取付容易なため、従来品のように設置場所に困りません。

「利休の酒」~堺の酒蔵復活物語~ 2 (事実に基づいています。) Masters顧問 森脇太郎

<コラム> 「利休の酒」~堺の酒蔵復活物語~ 2 (事実に基づいています。) Masters顧問 森脇太郎
浪花の海風
 堺は泉州の南の端に位置している。海辺に立てば、六甲の山々が手が届くかのように近くに見える。「そや、あの山の下を通って、地下水が西宮辺りに湧いて出てるんや。宮水言うて、昔から酒の仕込み水に使われてる。あの酒造りの町で、一生懸命頑張ってええ酒造り続けてるあいつに、この話を頼むしかない。」
 隆三は酒蔵にと目星を付けていた、老舗の料亭の主人との仮契約を済ませ、次の課題を一気に片付けようとしていた。
 老舗料亭の主人は、契約を済ませた後、隆三に言った。「あんさんらが、うちの店の後を使うて、堺に酒蔵を復活させてくれはるんやったら、私らも本望ですわ。」
 この言葉は彼を勇気づけ、次の目標達成へと力強く押し出してくれた。もう彼には何の迷いもなかった。隆三は真っすぐに目的地に向かった。そこには年来の友人で、六甲山の麓で酒蔵を営んでいる、和泉が待っていてくれた。
 和泉はまだ迷っているようだった。無理もない、代々この地で続けていた酒造りを、そう簡単にほかの土地に移してしまうことなど、思い切れるものではなかった。
 隆三は和泉の気持ちが、痛いほど分かっていたが、それを考慮する時間的な余裕は彼にはなかった。「このままここに残るのか、それとも儂と一緒に堺で新しい酒造りを始めるのか。今すぐに、ここで決めてくれ。」隆三は和泉に強く迫った。彼も必死だった。
 その迫力に、遂に和泉も首を縦に振った。「分かりました、西郷さんの情熱に感服しましたわ。これからは堺で一緒にやりまひょ、新しい蔵で新しい酒を造りまひょ。どうぞよろしゅう頼んます。」これは和泉にとって大変な決断だったと、隆三は心の底から思った。感謝の気持ちで、胸が一杯になった。
 「おおきにおおきに、ほんまにおおきに。これで堺の酒蔵が再興できる、君のお陰や。」六甲の山々は、少し色付いて来ているように見えた。長い間追い掛けて来た堺の酒蔵再興の夢が現実となって、彼の目の前にあった。山に秋が近づいているのを、知らずに過ごしていたことに、隆三はやっと今気が付いた。
 「こんな綺麗な景色見るのん、なんや久し振りのような気がするわ。」夢中で走り続けてきたこの十年程を振り返って、隆三はいかに自分が無我夢中で、堺の酒蔵復興にのみ時間を注ぎ込んで来たのかを、心底思い知ったのだ。
 和泉の蔵から、少し山の手に上がり六甲を背にして、隆三は目を細めながら遠くを眺めた。
 眼下には神戸から芦屋にかけての街が広がり、その向こうにキラキラと輝く海を隔てて、大阪から堺そして泉州の山々を望むことが出来た。
 隆三の目には真下の酒蔵の街から、浪花の海を隔てて堺の街まで、大きな虹が掛かっているように見えた。美しい虹の橋を渡り潮風に載って、自分の十年来の夢が現実となって、堺の街に届いたことを強く感じていた。
 早速、酒蔵造りの作業が始まった。1階の駐車場と倉庫部分をきれいに空っぽにして、酒の仕込みのための冷蔵室を設え、その周囲に蒸米用の蒸気ボイラーや甑(こしき・大型のセイロ)を配置して、水道や蒸気の配管をつなぎ、麹を作るための室(むろ)も作って、その後、真ん中に米を洗ったり蒸米を冷やしたりするためのスペースを確保した。
 「これで酒造りが始められる。みんな心を一つにして沢山の人に喜んでもらえる、ええ酒を造るためにがんばろうな。」隆三は志を同じくし、堺の酒蔵復興のために集まってくれた数人の人達と手を携えて、千利休の名に恥じない銘酒を造ることを固く心に誓った。十数年続いた模索の時は終わり、蔵の設えも整って、兵庫県三木吉川の特A地区の酒米、山田錦を高々と積み上げ、いよいよ船出を待つばかりであった。
 蔵造りに奔走した激動の1年は年の瀬を迎え、隆三は月の光を背に浴びながら、浪花の海風に乗ってここまで来た今の喜びを噛みしめていた。 
ご存知でしょうか。  かつて堺が日本有数の酒どころであったことを。
現在、堺の製造業といえば、刃物や自転車、線香、和ざらし、手織段通などが知られています。しかし、大正時代までは堺の製造業の第一位を酒造業が占めていたことを知る人は、もうほとんどいません。堺の酒造業の始まりは中世・室町時代といわれ、江戸時代の初めには京、大坂、奈良と並んで、堺は全国的な酒どころとして聞こえていました。当時、酒好きの江戸っ子たちに“下り酒”としてもてはやされた上方の酒を運んだのも、やはり堺の商人が考案した「菱垣廻船」です。明治以降も、堺の酒造業者の鳥井駒吉(現アサヒビールの創始者)が瓶詰め酒を考案し(それまで日本酒はすべて樽詰め・小売りは量り売り)、流通の革新に貢献。また、醸造改良試験所や醸造組合も堺の酒造業者が他に先駆けて設立するなど、日本酒の普及、業界の発展を牽引してきました。ところが、堺の酒造業は大正時代をピークに、昭和に入ってから下降を続け、明治13年には95軒もあった蔵元が昭和8年には24軒まで減少し、昭和46年を最後に堺の酒づくりの火は消えてしまいました。
自由都市、町衆文化の町”の輝きと  活力をもう一度、堺に。
堺市は政令指定都市として規模的には大きく成長しましたが、地方の地盤低下のなか、例外ではなく活気を失いつつあります。そしてまた、人口が増え市域がどんどん拡大するにつれ、歴史や文化、伝統への関心が薄れ、まちのアイデンティティも失われつつあるのが現状ではないでしょうか。堺は室町時代から戦国時代にかけての中世16世紀、遣明船の発着地として栄え、豪商たちが「納屋衆」や「会合衆(かいごうしゅう・えごうしゅう)」と呼ばれる自治組織を形成して自由と自治を守り、日本一の先進都市を築いて、さまざまな文化を生み、育んでいました。しかし、今日ではその栄華も旧市街に残る寺社、旧跡にかすかな面影をとどめるだけで、“黄金の日々”をしのぶよすがはほとんどありません。私達が堺の地に酒蔵を再建し、堺の地酒の復興を企図し、さまざまな活動を続けてきたのも、かつての会合衆の気概にならい“自由都市、町衆文化の町・堺”の輝きと活力を取り戻したいと願うからに他なりません。


次回月例会は、10月17日(水)15時より開催します。
※独自の技術・商材に興味や情報をお持ちの方、コラボレーションにご興味のある方はお気軽にご連絡下さい。
連絡先:TEL06-6110-8050 E-mail:ryu.takahara@masters.coop 協同組合Masters 担当:高原、濱出

公益財団法人 大阪市中小企業勤労者福祉サービスセンター

公益財団法人 大阪市中小企業勤労者福祉サービスセンター 森本万喜子(30分)
(公財)大阪市中小企業勤労者福祉サービスセンター(通称:OCSセンター)のサービスで企業の福利厚生の充実が図れます。
福利厚生制度には「法定福利」と「法定外福利」の2種類があります。
①法定福利・・・雇用保険、労災保険、健康保険、厚生年金保険、介護保険、労働基準法上の休業補償など
②法定外福利・・・①法定福利以外に、企業が任意で従業員に提供する福利厚生サービスで慶弔給付金、健康管理補助、レクリエーション、宿泊やレジャーの補助など
 今、企業の福利厚生は、雇用形態や働き方の変化に応じて、そのあり方にも変化がもとめられています。
仕事へのモチベーションアップ、会社に対する貢献意識向上には、福利厚生の充実が不可欠です。
OCSセンターの福利厚生サービスは
・慶弔給付事業
永年勤続祝金、結婚祝金、出産祝金、入学祝金、還暦祝金など、12種類の慶弔金を支給。
・健康管理事業
協会けんぽで一般健診の受診費用の補助や提携病院での人間ドック費用の補助。
・厚生事業
宿泊やレジャー、スポーツ、セミナー、グルメなど、日々の生活や家族の行事などに利用する時に
3割ほどの補助や割引で利用。 (サービスメニューはコチラ!)http://www.ocs.or.jp/membersite/index.php/about
・退職金共済事業
・入会金300円           
・会費 月々お一人600円
全国に200以上のサービスセンターがございます。
詳しくはホームページにて検索
当センターには、他にも
従業員の退職金を計画的に積み立てる特定退職金共済事業。
・掛金  月々お一人 1,000円〜30,000円まで


「利休の酒」~堺の酒蔵復活物語~ (事実に基づいています。) Masters顧問 森脇太郎

<コラム> 「利休の酒」~堺の酒蔵復活物語~ (事実に基づいています。) Masters顧問 森脇太郎

1.浜寺に吹く風

ざわざわ、ざわざわっ、大阪堺の海近く、青々と広がる美しい松原の中に、彼は一人佇んでいた。突然、傍の老松の枝が大きく揺れ、天からしゃがれた声が降ってきた。
「良いか、儂の名を冠する酒を造りたいのなら、我が名を傷つけぬ、麗しき酒を醸すのじゃぞ。お前にそれが出来るかのう。まあ楽しみに待って居るわ。あっははははっ。」
「えっ、なんや今のは、ひょっとしたら利休はんの声か、」 彼は少し酔いの残った頭を振って、寝っ転がっていたベンチから、ゆっくりと起き上がった。
ここ数年、彼は悩みに悩み、試行錯誤の荒海にもまれ続けていた。彼の名は西郷隆三、大阪河内で老舗酒造蔵の頭首として、豊臣秀吉ゆかりの銘酒を世に出し、好評を博していたが、急な病に倒れ第一線を退き、若い頃慣れ親しんだここ浜寺の地で、療養を兼ねながら悠々自適の日々を送っていたのだ。しかしそんな隆三を、堺の町の人達はほおっておいてはくれなかった。
日本各地に地方再生の機運が盛り上がる中、御多分に漏れず堺も町興しのための核になるものを探していた。「物の始まりはすべて堺」という言葉があるように、堺にはあらゆるモノづくりの種があった。もちろん酒も堺の名物ひとつであった。
江戸から明治にかけては、日本有数の酒所として、堺湊から江戸表に菱垣廻船で大量の酒の大樽を送っていた。しかし太平洋戦争の敗戦後、大阪湾沿岸に押し寄せた工業化の波を受けたこともあって、昭和40年代の半ば頃には、堺の町中から酒蔵がすっかり姿を消してしまった。それから40年近くが経ち、今や酒蔵の復活は、その歴史を知る堺の人々にとって悲願であった。
男気一本の隆三はそんな人々の期待を一身に引き受けて、西に東に、南に北にと、奔走する毎日を送っていた。酒造りの世界で心通わせた友人だけでなく、学生時代からの多くの友人が、物心両面からの応援を続けてくれている。「みんなの気持ちに応えるために、どないしても一日も早う、堺で酒造りを再開せなあかん。」待ったなしの焦りに背中を押されても、60歳を過ぎた隆三には、その荷の重さに時折、「もう儂にはこの夢の実現は、ちょっと無理なんかも知れへんなあ。」そんな思いが頭をかすめることがないでもなかった。
気弱になりそうになった時、永年連れ添った妻の恵美子が彼をそっと支えた。前に出すぎるでもなく、静にそばに居て優しく癒してくれる、夫婦の自然な姿がそこにはあった。家に戻った隆三に、恵美子が微笑みながら声を掛けた。「あなたが毎日好きなことに一心に打ち込めるのは、皆さんの暖かいご支援があったればこそですわよね。それを忘れちゃあ、罰があたりますわね。」
「そらほんまにそらそうや、儂もいつも感謝してんねんで。そやから早よええ結果を出したい思うて、毎日あっちこっち動いてんねんやがな。」
二人の会話は、浜寺の風に載って、夕闇迫る赤い雲の彼方へと吸い込まれていった。そう、まるで聞き耳を立てていた、千利休の耳元に届くかのように。
隆三の堺の酒蔵復活の夢は、堺の人々の熱い思いと一つになって、今まさに現実になろうとしていた。
隆三は思案に暮れると、度々浜寺の松原を歩いた。昔は海のすぐそばに広がっていただろう白砂青松のこの地が明治の初め頃、開発のため消えかかったことがあった。それを聞いた明治の元勲大久保利通が、その美しさを惜しんで、救ったのだと言う。そんな謂れを思い出しながら、ある初秋の黄昏時、隆三はいつものようにこの松原の散歩を楽しんでいた。
ふと遠くから、自分の名を呼ぶ声が聞こえたような気がした。浜寺の松原は広々として、松の大木が密生しているため、声が聞こえても、誰が何処で呼んでいるのか、すぐにはわからなかった。きょろきょろと辺りを見回す隆三の目に、走りながら近づいて来る長身の若者の姿が飛び込んできた。
「西郷さん、お家に伺ったんですが、お留守で。奥様が主人は松原に散歩に出かけましたて言いはるもんやから、走ってきて今さっきから探してましてん。」 その青年は隆三の酒蔵再興の熱意に共鳴して、協力を申し出てくれている、上畑だった。隆三は申し訳なさそうに言った。
「そらえらいすまなんだのう、電話くれたらすぐに帰ったのに。何ぞ急な用でもあったんか?」 上畑が息せき切って答えた。「ええそうなんです。西郷さんが言うてはった、蔵を作るためのさしあたっての追加の軍資金、何とか目途がつきそうなんですわ。」それを聞いた隆三の胸に、ぽっと明かりが灯った。辺りには静に夕闇が迫っていた。
「ほんまか?そらありがたいわ。おおきにようやってくれたなあ。」隆三は上畑の手を取って、満面の笑みを浮かべた。これで一歩も二歩も前進できる。隆三は胸の高鳴りを抑えることができなかった。
そや早い方がええ、明日あそこへ行ってこよう。あの儂が蔵の候補に選んでた、堺東の駅前の古い料亭の跡や、家主さんに話をつけて、すぐにでも改造工事に取り掛かろう。
隆三の頭の中で、生き生きとした思案が、ぐるぐると回り始めた。もうちょっとや、もうちょっとで、利休はんにも恥ずかしない、上等の酒を造ることが出来るんや。しかし隆三には解決しなければならない、もう一つの重大な問題が残っていた。それは酒造免許の取得である。今まで何度も手が届きそうになっては、費えていたこの一番大事な課題を、この際一気に解決しようと考えた。
もうこうなったら、明日いっぺんに両方ともやってしもたろ。あの男のところに行って、儂と一緒に堺で酒造りしようて、決心させたろう。もう待った無しや。
よっしゃあ、やるでえ、利休はん待ってておくれやっしゃあ。隆三は辛気臭いことが、大嫌いであった。腹を決めた隆三の背中を十五夜の月が優しく照らし、利休の安堵のため息のような柔らかい風が彼の頬を撫でていった。「隆三よ、しっかりやるんやで、この利休がついてるさかいな。」そんな声がどこからか聞こえてき終わりの夜であった。(次回へつづく)